他人は変えられない
日常生活において親から細かいことを口出しされることがある。
最近だと「カップ麺に入れるお湯を沸かすときは、必要な量をぴったり計量して沸かしたほうがエコだよ」と言われた。
... いや細かっ!w
当人はクソ真面目な顔をして言うもんだから、呆れを通り越して笑ってしまいそうになった。じゃああなたは顔を洗うときに手に水が溜まったらすぐさま水を止めて顔を洗っているんですかという話である。普通に考えたらそんな人ほとんどいない。顔を洗う間は水を流しっぱなしにして、水を手に溜めては顔を洗って、また水を溜めて顔を洗って...を繰り返す人がほとんどだろう(洗面器に水を溜めてそれをすべて使いきって顔を洗うと言われたら何も言えないが...今重要なのはそこじゃない)。
人がこのような口出しをする場合、よくよく考えると、本当にガス代を節約したくて言っているのではなく、自分の思い通りに他人を行動させたい欲求を満たすのが無意識のうちに目的になっていることが往々にしてあるように思う。今回の例の場合、カップ麺用のお湯を沸かすときは必要量をぴったり計量するという自分の指示通りに著者に行動させたいということが目的になっている。
人間関係について書かれた書籍を読むと、「他人は変えられない」という言説がよく登場するが、これはまさしくその通りだと思う。不可能なこと(=他人を自分の思い通りに行動させること)を無意識的にやってしまうのだから、人間の無意識の力というのは恐ろしい。
私は小さいころから多少反抗することはあっても、「なんだかんだ最終的には親の言うことは絶対」という意識に流されがちな面があると思う。そのような意識を持っていると、自分の本心を心の奥底に押し込めてしまうことにつながりかねない。常に親に従うというのはある意味自分で決断しなくてもいいため楽であるともいえるだろうが、自分の人生は自分自身の決断で舵を取っていきたいものである。
今回の例でも、親に小言を言われたが、それに従うにしても、ただ何も考えずに親が言うからという意識で従うのではなく、「自分は別にそんな風には思わないけど、まあとりあえず従っておくか」というように、自分の意見はどうなのかということを意識する(それを親に直接伝えないとしても)ことは重要だと考える。でないと自分という存在が揺らいでしまう。しっかり自分の意見を内に秘めてこそ親の小言に対する大人な対応が本当の意味で可能になるといえるだろう。
また、話は変わるが、人は時に自分の思い通りに他人を行動させたい欲求を満たすのが無意識のうちに目的になってしまうことがあるというのは、人間である著者自身にも例外なくあてはまることである。日常の不満を解消するために、他人を自分の思い通りに行動させるのに躍起になるのではなく、自分の中でのとらえ方を変えてみるなど、本当の意味での大人な対応をぜひとも身に付けたいものである。
こんな最後に書くなという話ではあるが、私は現在実家で生活させてもらっている上に、1円もお金を納めていない。親の家計も余裕があるわけではないだろうから、小言を言われても仕方ないと言えば仕方ない。まあそれでも自分の意見を持つことは常に心に留めておくことにする。